acappella_life.gif

小学生の頃からハモるのが大好きで、友達が何が歌っているとそれにハモを付けたりしていた。「ハモりたい」という気持ちから中学2年生の時に合唱を始めたのだが、高校くらいの時から少人数で、出来れば1パート1人で、ポピュラー系の歌を歌いたいと思うようになった。そのころからボチボチアカペラのアレンジを始めるのであるが、作ったところで歌ってくれる人がいない。仕方なく、テープレコーダー2台を使って一人多重録音に勤しむヲタク女子高生こんきち…が、この頃にはボイスチェンジャーなんてスグレモノは勿論存在しなかったので、ベースパートだけはキーボードで弾いて録音するしかなかった。

大学3年のとき、早稲田大学にアカペラをやってるサークルみたいなものがないかしらと思って探しに行ったが見つからず(SCSが出来たのはその数年後らしい)、取りあえず「早稲田大学合唱団」に1年間だけ通った。その合唱団は全体で普通の合唱も歌うが、団内に細かい「研究会」があって、そこで団員がそれぞれバンドやオペラやジャズソングなんかをやったする風土があったため、そこにアレンジを持っていったりもした。大学入学と同時に始めた高校の合唱部のOB会でちょっと歌って貰ったりという試みもしてみたが、合唱形式で歌うにはやっぱりちょっとムリがあった。「合唱」になっちゃう。当たり前だけど。

そうこうしている間に社会人になり、かと思ったらあっという間に結婚して、披露宴の次の日には夫の転勤でトルコのイスタンブールへ。イスラム教の国で合唱団を探すのは至難の業だ。ヨーロッパ人主体のコーラスグループに入ってみるモノの、ドイツ語とフランス語しか通じないわ、宗教曲しか歌わないわで結局数ヶ月で退団。イスタンブールにいる間は、日本人の奥さん連中とクリスマス会に合唱を歌う以外は全くコーラスと縁のない生活を送り、駐在員夫人としての勤めを何とかかんとか全うした。

さて、帰国である。4年間たまりにたまったウップン(トルコ生活も楽しかったけど)をはらすべく、まずは仕事より先に合唱団探し。当時はまだアカペラなんてものは今のように盛んでなく、インターネットはおろかパソコンもあまり普及しておらず、いきなりアカペラバンドを作ろうといっても無理な話だったのだ。で、東京都合唱連盟に出向いて合唱団のリストを見せて貰い、そこから5団体ほどピックアップして見学開始。それでひっかかったのが合唱団ひぐらしである。今思うと不思議だが、何かピンときてしまったのだ。この団体には。

ひぐらしにも自分でアレンジした楽譜を持参して、「こんなのやってみたいなー」とアピール。その甲斐あって、物好きなメンバーをひぐらしで見つけることが出来た。最初は団員4人でスタート。親団体の「ひぐらし」がセミの名前であることから、グループ名を「つくつくぼーし」と名付ける(96年2月結成)。そのうちひぐらし団員でないメンバーも加わって5人となるが、その新メンバー(=4th/通称「あきゅの」)も結局はひぐらしに合流。濃いつきあいとなる。この「あきゅの」というのがまたクセモノ(笑)で、こんきちをさらなるアカペラな日々に誘い込むこととなる。ほどなく設立時の Top が諸事情により脱退し、あきゅのサンの奥さんが新Top としてメンバーに加わる。

さてこのあきゅのサンと知り合ったことで、つくつくぼーしは「トライトーン」にのめり込むこととなる。「トライトーン」とは今やカリスマ的存在となった超実力派アカペラバンドであるが、このころはまだあまり知られておらず、光栄なことにカレのお陰でトライトーンのメンバーとお知り合いにもなれた。こんきちはカレの伝手で、マックを使った楽譜の浄書の仕事をするようになる。トライトーンがアレンジ or 作曲した楽譜の浄書もさせてもらい、アレンジの勉強にもなってハッピー♪ 1年ほどしてあきゅのサンの奥さんはおめでたとなりまたまた Top が抜けてしまう。一時は Top のゲストをあちこちから呼んだりインターネットで募集したりしてみたがうまく行かず、どうなることかと思ったが、幸いひぐらしから再び Top (さときちさん)調達に成功!解散の危機を免れた。

・・・てな具合に楽しいアカペラ生活を享受していたのだが、1999年こんきちの旦那サマの大阪転勤が決まり、こんきちも関西へ。メゲずに月に2回泊まりがけで東京に通い、仕事もひぐらしもつくつくぼーしも細々と続けることにした。しかし一度おいしいアカペラ生活を知ってしまったこんきちは、この細々状態ではすぐにアカペラ禁断症状を起こすことは目に見えていた。引っ越しの片づけが終わると、さっそく関西でも活動開始である。取りあえずまた同じ方法で合唱団を探し、見学攻勢。いくつか見学したうち2団体の中から、またまたモノ好きを集めて新グループ結成。それが「あまとら」(99年10月結成)である。現在ではこれがメインバンドとなっており、コユーい練習と年数回のライブを楽しんでいる。

さてこんきちの関西転勤からほどなくして、つくつくぼーしのあきゅのサンも関西方面に引っ越すことになり、再びつくつくに存続の危機が訪れる。今までバリトンなのにムリして 3rd を歌っていた潤哉サンが 4th に降りて、3rd をまた「ひぐらし」から引っ張ってきたりして、そのメンバーでの人前デビューもなんとか1度だけ果たしたが、その後各メンバーが別のバンドを始めたりしてつくつくぼーしの求心力も無くなり、ハッキリ解散したわけではないのだけど、現在では自然休眠状態となっている。ひぐらしのほうも練習日が木曜日の時は月に1回くらい顔を出していたのだけど、あまとらの練習がメンバーの都合で水曜日から金曜日に変わってから参加頻度がガクッと落ち、さらにはひぐらしの練習が金曜日に変わってしまったので、以後まったく参加できていない。

そして性懲りもなく、こんきちは東京でさらに新しいグループを始めた。つくつくぼーしの Top さときちさんとこんきちが始めたので、「きちきち」と呼んでいたら、結局それが正式名称となった(2000年5月結成)。つくつくの練習が思うように入れられなくなったという理由もあるが、「非合唱系」のバンドも経験してみたいという気持ちが頭をもたげてきたのもあって、「アカペラー」な人達(ぎださん @ BBQ+αAluminum、かわさん @ うみねこやMAMMY、とくちゃん @ Misty Larksぶらうにぃ)に声をかけて結成したのだ。「きちきち」はその後 3rd のぎださんが抜けたため ひぐらしの団員でありつくつくの 3rd でもある さるさん に声をかけ、気が付いてみたらつくつくぼーしとメンバーが3人ダブることになった。1〜2ヶ月に1度くらい集まって練習するだけの、本番を前提としない企画バンドだが、結構楽しい。

2000年夏には、岡山のアカペラ第一人者ころころさんと、新しいユニットを作ることになった。岡山で練習なので電車賃が大変なのだが、ころころさんと歌えるなら行きまっせ〜!・・と意気込んだが、こちらはころころさん超多忙のため、1回だけ練習した後休止状態。(^^;;;

同年冬、京都に引っ越してしまった「つくつくぼーし」の元 4th、あきゅのさんからもお声がかかり、長岡京でも新しいユニットを始めることに。これには「あ・うん」という名前が付いた(2000年11月結成)。つくづく、ひらがな名に縁があるなぁ。あきゅのさんと名古屋在住の福ちゃんが言い出しっぺで、福ちゃんははるばる新幹線でやってくる。それにあきゅのさんの奥さんでつくつくぼーしの元トップのちよみさんが加わり、私を誘ってくれたので女3・男1という状態からメンバー探し。そこで、あまとらからテナーとベースを1人ずつ呼んできて、6人編成となった。こちらはマイクを使わない練習で、ジャズやコンテンポラリーに限らずいろんなジャンルをやろうというコンセプト。マドリガルなんかもやってみたりした。声質も音程感もなかなかの相性で、月1回ペースで細々と歌っていたが、2002年になってからメンバーの都合が合わずになかなか集まれず、微妙な状態になり始めた。

また、明石方面で活動中のバンド「シャウト」にも首をつっこむようになった(2001年7月より)。混声5人グループだったのだが、女性2人が抜けるのでメンバー募集をしていたのである。こちらはイベントなどにもちゃんと出たいというバンドなので、私はあまとらとの両立が難しいのと週末はあまり参加できないのとで、どっぷりと浸かるワケにはいかず、微妙な関わり方をしていた。私が行ったときには既に 2nd は決まっており Top がまだ決定してなかったので、Top がちゃんと決まるまで、ということで Top を歌っていたが、Top が決まってからも女性2人がなかなか都合が合わず練習に揃うことがなかったので、私は練習の都度空いているパートを歌うという形で参加し、本番では曲によってメンバー交替したり無理矢理6声にしたりしていた。2002年春、練習にもメンバーが揃うようになったし、ライブもよくするようになったので、中途半端な形にしない方がいいだろうと考えて、私は本番には参加せず、メンバーが揃わないときにだけ声をかけて貰う「練習穴埋め要員」という立場に徹することにした。これは日によっていろんなパートが歌えるのでオイシイ立場である♪ シャウトはその後結局女性2人が両方入れ替わり、更にパワーアップして素晴らしいバンドに成長した。

2002年2月、うみねこやのだんちゃんが関西に来たときに企画バンドを作って 上から「ゆきのすけ(あまとら)/福ちゃん(あ・うん)/いのきょん or みやりん(apres-midi & ぶらうにぃ)/こんきち/だん(うみねこや & PenguinFish)」というメンバーで松永ちづる女史の「We Are All Alone」を歌ってみたらムチャクチャ面白かったので、今度は東京で女声だけのバンドを作ろう、とだんちゃんと企てて、5月に新バンド発足。しかしこれは、名前を付ける前にだんちゃんの職場環境が変わってとても忙しくなってしまい、結局数ヶ月で立ち消えとなってしまった。その後、この企画を知ってとても興味を持っていた別の女声2人を誘って「豆腐マニア」という女性3人のバンドを結成してみたが、連絡が疎遠になったりしてこちらも立ち消え状態。なかなか難しいものだ。それにしても、女声という形はいままで物足りないと思って避けていたけど、やってみるとまた別の楽しみがあって非常に面白い。3人ではやはり物足りない感じがするが、4人か5人揃うのであれば、手を出してみても良いかも、と思える領域だ。

2002年6月、シャウトのベース Mituomi 氏が明石で新バンドを始めるというので、私もそれに乗っからせて貰った。acappella.co.jp に Mituomi 氏がメンバー募集を出し、いいメンツが集まってとても面白いことになりそうだったので、まだ上手いこと空いていた 2nd に紛れ込む。名前は「うたまろ」。そしてこのバンドが、月に1度は休日に練習をいれる感じになりそうなので、この時点で「あ・うん」への参加を見合わせることにした。「あ・うん」も勿論すごく楽しいのだけど土日にしか練習が入れられないのがネックになる。土日あまり頻繁にでかけると、うちの旦那様が泣いちゃうのである。新しいバンドをやるなら、「あ・うん」はやめなければいけない。「あ・うん」を続けるなら、新バンドは諦めなければいけない。天秤にかけるのは不本意ではあるのだけど、現実問題選ばざるを得ない。「あ・うん」は練習回数が少ない故にあまり詰めた練習ができない、というのもあって、すごくワガママとは思ったのだけど、結局そういう形になった。受け入れてくれた「あ・うん」のメンバー各位、どうもありがとう(T△T)

そして懲りない私。2003年8月、更に別のバンドを結成しちゃった。東京のアカペラーの間で有名だった「さすらいのアカペラウォッチャー」ことさわいさんがこの年の4月に関西に転勤してきたことがキッカケとなり、関西のアカペラーのなかからアニソン好きなメンツを集めてアニソン縛りのカラオケ大会を開催したのだ。そのとき集まったのが私とよしみさん(Ciao)/キザ夫さん(Psyche)/さわいさん/ゆっきいさん(ZIP, BBSB , ぽぷり , avoid note)の5人だったのだ。この5人の声域がミゴトにバラけていたため、アニソン専門のバンドを結成しよう! ということになり、トントン拍子に話が進んだ。さわいさん以外はそれぞれ別のバンドをやっているのであまり頻繁には集まれないし、私もよしみさんもダンナからの制約により休日練習は無理だから、月に2回くらい平日の夜1時間半くらいの練習、という条件で立ち上げた。名前は「A7(エーセブンス)」。「Anime-song & Acappella Addicted Authentic Amateur Adult Amigos」、Aが7つでコード名に引っかけてエーセブンスだ。同年の12月にはあまとら主催のジョイントライブでデビューを果たし、2004年2月にまたまたあまとらの協力で2回目のライブが実現したが、この時すでによしみさんは臨月(爆)…というわけで、その後よしみさんは特別顧問の地位 (笑) に引退し、そのあとを、同じ Ciao から志保っぷさんが引き継ぐことに。

2003年12月、「私が参加する関西のバンドでジョイントライブをやろう!」という話があまとら内で持ち上がり、あまとらの Top 嬢交代時のメン募関連で深い繋がりのあった「apres-midi」さんも誘って、「A7」「うたまろ」「あまとら」「apres-midi」の4バンドでライブを開いた。そしたらこれが apres のみなさんに好評で、これからもこの企画を続けていこう、と提案して頂き、おこがましくも「こんきち組」なんていう名前を付けて貰ってしまった。ワタシは「組長」とか呼ばれている (^_^;)。その後これに「シャウト」も加わり、ゲストバンドを迎えたりしつつ、年に数回のジョイントライブを続けていくことになる。

こんな感じで非常に充実したアカペラ生活を 関西〜東京間で繰り広げていた 2004年の夏…旦那様の長崎転勤があっけなく決定。まず「あまとら」はどうしようと考えた。遠距離で在籍を続ければメンバーに多大なる迷惑をかけるだろうと思いつつも、これで抜けると思うと胸が張り裂けそうに悲しくなり、ダンナから転勤を知らせる電話を貰った後はしばらく涙が止まらなかった。取りあえず月に1度は金・土と1泊2日で帰阪して2日連続練習する、という了解をその日のうちに取り付けて、メンバーに相談し、メンバーもそれを快く受け入れてくれたので、有り難く続けさせて貰うことにした。結果的に、本番の数は引っ越し前より何故か増えたような…。「A7」は、もともと練習回数の少ないバンドだったし、あまとらの為に帰阪した際土曜日の朝に都合が合えば練習しよう、ということで、やはりこちらも続けさせて貰うことに。「うたまろ」は私の転勤が決まる3ヶ月前に 3rd が海外転勤で抜け、Top が一身上の都合で抜けて、2パート同時にメンバー募集の真っ最中だった。この上私も転勤となってはもうしょうがない、ということで、敢えなく解散。東京の「きちきち」は、もともと練習バンドなので、集まれる時に集まろう、ということで解散はせず存続決定。

あまりに関西での生活が楽しかったので、転勤が決まってからしばらくは泣いてばかり居たが、ただで転ぶ私ではない (笑)。転勤が決まるや否や、引っ越す前からあちこちのメン募掲示板に「長崎でメンバー募集」の投稿を開始。しばらくは全く反応が無かったが、とある九州限定のアカペラメン募掲示板で、コユーイ夫婦(2nd & Bass)をゲット、その後 4th、3rd の順に応募があり、2005年5月に目出度く5パートが揃う。名前は「長崎でコアなアカペラを」という意味を込め、N-core(エヌ・コア)に決定。ちなみに「N」を「en」と読み替えると「アンコール」とも読めるダブルミーニングである。ゲットした女声がアルトだったため、私はここでは Top を担当することになった。これは「リードも練習しなさい」という神様の思し召しだろうか…頑張ろう。

N-core は成り行きで、2005年12月から長崎のコミュニティFMアカペラ番組を持つことになったが、翌 2006年夏、毎週パーソナリティを務めてくれた 3rd ささぼん氏の上海留学が決まり、約8ヶ月で終了となった。4th の大学生クンとも連絡が取れなくなってしまったため、2年間はメン募をしながら残りの3人で多重録音をしてチマチマと過ごす。2008年8月、ささぼん氏が帰国。その直前に女性から応募があり、再び目出度く5人体制(女3・男2)となった…が、ナント10月にはささぼん氏が今度は福岡に転勤! 遠距離バンドとなってしまったのであった。それでも福岡でのイベントに呼んで頂いたりして、月に2〜3回は練習している。

2008年4月、以前から一緒に歌いたいな〜と思っていた関西のアカペラー kamy さんと しいちゃんに声を掛けて、毎年春に行われる よりアイ に向けての企画バンドを立ち上げ。kamy さんと一緒のバンドで歌っている たけってぃさんを紹介して貰って、4声のグループ「しあたま」が誕生しました。こちらは超不定期練習で、私が新ネタを書き上げたら練習を打診する、という感じ。4声はこれまであまり経験がなかったけど、5声とはまた別の魅力があって楽しい♪

というわけで、現在活動を続けているのは 関西の「あまとら」「A7」「しあたま」、長崎の「N-core」の4つ。前述の「こんきち組」も、長崎に引っ越してからも続いており、良い仲間に恵まれた幸せを噛みしめている。そのうち長崎で(無理なら福岡当たりでも)「N-core」を交えて「こんきち組」開催できればいいなあ。

我が家のダンナ様は既出の通りひとりで置いて行かれるとすることがなくて困ってしまうヒトで、トルコから帰任したころは平日も門限は11時、休日は殆ど歌いに行かせて貰えず相当苦労していたが、もともと理解のある寛容な性格であったことが災い(笑)して最近ではすっかりこんきちペースに乗せられてしまっている。現在では門限はナシに等しく(^_^;)、休日も随分出して貰えるようになった。2007年12月にはメニエール病(←の疑い)を患ってしまい、あまり家族サービス (笑) が出来なくなってしまったにも拘わらず、歌だけはドーピングしながら元気に続けている不良主婦こんきち。さてさてこれからどうなっていくことでしょう。

(2008年12月現在)


  私の参加団体は、まとめるとこんな感じ。

団体名 開始年月 現在の練習頻度
合唱団ひぐらし(東京) 1994年10月 ほぼ部外者状態
つくつくぼーし(東京) 1996年2月 自然休眠状態
あまとら(関西) 1999年10月 月1〜2回×1泊2日
きちきち(東京) 2000年5月 長崎転勤以後ほぼ活動停止
あ・うん(関西) 2000年11月 2002年春脱退
シャウト(関西) 2001年7月 長崎転勤を境に完全離脱
東京女声企画(仮称) 2002年5月 2003年4月立ち消え
うたまろ(関西) 2002年6月 長崎転勤を境に解散
豆腐マニア(東京) 2003年4月 同年9月頃から立ち消え
A7(関西) 2003年8月 年に数回程度
N-core(長崎) 2004年11月 月に2〜3回
しあたま(関西) 2008年4月 年に数回程度